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花尊し

花尊し

冥福


冥福についての Q & A

Q 冥福って何ですか
A 冥福とは死後の幸福のこと。
亡くなった人は49日間冥土をさまよい、生前の行いに対する裁きを受け、次に転生する世界が決まる。
冥福を祈るとは、冥土の旅を無事終えて、良い世界に転生できるように、と、残された者が祈ること。
冥は暗闇を指す言葉であり、死後の世界が闇で、そこで霊や魂が迷うことを意味し、
冥福を祈るとは、「闇の世界へ落ちても気を落とさずに、這い上がる幸運を掴んで下さい」
という、何とも不気味な祈りである。

Q 閻魔大王の裁きとは
A 死者が三途の川を渡って冥途(冥土)に逝くと、閻魔大王を筆頭にした十王によって、
生前の善行、悪行の審判が行われ、これは亡くなった日から数え、七日目の初七日に始まり、
七日ごと七回あり、四十九日目に最後の審判を受けます。
それまでは、魂は家の回りを浮遊し(冥土をさ迷い)、四十九日目に行く先が決まり家を離れるのです。
閻魔大王は、死後の世界(黄泉の国)の支配者で、亡者の生前の行ないを決済する裁判官で、
判定は人が生前に行った善悪の行為の記録、閻魔帳によって行われ、地獄行、極楽行が決まります。
閻魔大王は意外にも慈悲深い裁判官で、遺族の追善供養等を考慮に入れて、情状酌量してくれるのです。
嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる、と恐れられる憤怒の怖い顔も、実は人を罰するためでなく、
我々人間を地獄へ行かせないよう、この世での悪行を戒める頼もしい怒りの表情なのです。

Q 罪業を消滅させるとは
A 残された者は閻魔帳に記録されている罪業を消滅させるため、七日ごとの審判の日(忌日)に、
故人の冥福を祈り、よい後生を願って法要を行い追善供養する習慣が生れ、
四十九日までの故人の霊がさまよっている期間を中陰あるいは中有と言い、
忌日に営む法要を中陰供養とも言います。
この間が忌中 ( きちゅう ) で、閻魔大王の裁きを受ける三十五日と、
次に生まれ変わる世界が決定する判決言い渡しの四十九日には、特に心をこめて冥福を祈ります。
四十九日の法要は、七七日忌とも言われ、葬儀の後の最初の大きな法要で、
四十九日が重要視されるのは、閻魔大王の審判結果である、極楽往生か地獄落ちか が、この日に確定する、
と言う信心からです。
遺族は死者の冥福のために、この娑婆(現世)で死者に代わって善行を行い功徳を積むことが大切で、
このことを追善と言い、このようにして積んだ功徳を法事の際に、死者への供養として回向します。
遺族が故人の安らかな成仏を願い、一日も早く極楽へ逝けるよう祈るのが、追善供養です。

Q 冥土の幸福とは
A 冥福を祈るとは、亡くなられた方は、冥があらわす真っ暗闇の冥土(冥途)へ迷い込んだとして、
そこで幸せになってくださいと言うような、浄土の故人を侮辱する心ない、大変失礼な言葉なのです。
浄土真宗は、お念仏を頂いた人は本願力により、阿弥陀如来の慈しみの世界(浄土)に即救われ往生し、
仏となる教えですから、冥福(冥土の幸福)を祈る必要はまったくありません。
「哀悼の意を表します」「お悔やみ申し上げます」と言い換えるのがふさわしいのです。

Q 他界・天寿・永眠、等の言葉は
A 会葬礼状にも、他界・天寿・永眠、等の言葉が見受けられるが、これもふさわしくない。
他界;浄土は他の世界ではなく我々の世界と密接にリンクしている。
天寿;天が寿命を決めるのではなく、頂いた命を精一杯生きるのが私達の努めである。
永眠;永の眠りとは死の直視を逃げるものであり、死は日常の眠りの延長ではない。
浄土真宗では、亡き人は浄土で仏となり、休む暇も眠る暇もなく、私達を真実に目覚めさせようと、
働きづめに働いて下さると教えられ、だから、永眠とは言わない。
浄土に往き、そして生まれる浄土真宗では、「死」には、
『往生の素懐を遂げる』または『逝去』という言葉を用いたい。

Q 六道輪廻とは
A 冥福を祈ることは、亡くなった人を、阿弥陀如来の浄土でなく、
六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)を輪廻する亡者(もうじゃ)と見なすことになる。
六道とは六つの苦界のことで、人間だけでなく、あらゆる生き物である一切衆生は、
生まれ変り、死に変り、六道(六界)を巡り渡り、それが六道輪廻とか輪廻転生と呼ばれる。
前世での善悪の業によって次の世界が決まるとされ、苦しみの酷い順に次のとおり。

地獄界;地下の最も深い所にあり、ひどい責め苦を受け、痛み、苦しみはいつ果てるともなく続く。
餓鬼界;地獄の隣で、ここに落ちた者は餓鬼になり、いつも空腹に苦しむ。
畜生界;けもの、鳥、魚、虫の弱肉強食の世界で、いつもびくびくしていて休めない。
修羅界;闘争の世界で、阿修羅と成り、絶え間無い闘いに明け暮れる。
人間界;今我々が生きている現世で、生老病死、四苦八苦の苦しみがある。
天上界;天上の世界で天人と成って長生きしても、やがては命が終りに近づき五衰となる。

Q 悟りの世界とは
A 六道の六つの苦界は、いずれも苦しみや悩み多い煩悩の苦界で、
そこに住む者が苦しむのは迷いがあるからだ、ということから、まとめて迷界と言う。
この迷界の上に、迷いを持たなくなった仏の世界である悟界、悟りの世界がある。
迷界の六道を抜け出し、悟界へ行くことは大変むずかしいが、仏様の教えを信じ、
悟界へいけるよう努力しなさい、と、さとすのが『教え』なのである。

Q 輪廻転生とは
A 煩悩にまみれたまま生きる衆生(しゅじょう)が六道の生死を繰り返すことを、
六道輪廻とか輪廻転生(りんねてんしょう)と言い、釈迦が不死を得たというのは、
輪廻転生を終わったということで、二度と輪廻転生はしない、
「二度と再び生を受けることはない」ということ。
釈迦の悟りは、過去・現在・未来を貫く霊魂の存在を否定し、
輪廻転生の苦しみから脱却するところにその眼目が在った。
輪廻転生する迷いの世界という縛から解き離れて、
涅槃(ねはん)とよばれる悟りの境地へと脱出すること、それが解脱(げだつ)である。

Q 解脱とは
A 解脱とは、輪廻転生の迷いの世界からの離脱であり、一般的には、全ての束縛、執着から離れて、
迷い・苦悩を脱し、自由を獲得するという意味であり、この世の世俗的な束縛からの解放であり、
現世の苦悩から解放されて絶対自由の境地に達する事である。
涅槃の境地に至ること、生死を離れるということ、輪廻から解脱し、悟りを開く、成仏する、
ということで、解脱して涅槃に行かない限り本当に救済されることはない。
死後の世界とは、死後に行く世界のことではなく、自分があとに残して行くこの世界のこと、
としても、これも又この世への執着であろう。

Q 地獄や餓鬼道に落ちた者の再審査制度について
A 法要は亡くなった人を供養する行事で、故人の冥福を祈り、仏の世界に落ち着くことを願います。
死者に対する仏法行事という意味から法事と言い、仏教行事でもあるから仏事とも言います。
四十九日目に冥土の裁きが確定し、その後、百日から三十三回忌までは、
それぞれの王による再審査が行われ、故人の罪を軽くしてもらう為、
遺族は、善行・功徳を積み重ねて、お祈りして、追善供養をします。
裁判の日の後では、間に合わないから、供養は、忌日或いはその前に行わなければならないのです。
極楽浄土に往生するためには、この世で、善行・功徳を積み重ねておくことが大切です。

Q 末法の時代とは
A 釈迦の死後500年(or 1000年)は、
『教・行・証の三法』が正しく伝え守られる『正法』の時代、
次の1000年は『教・行』はあるが、教えが形(像)だけのものとなる『像法』の時代、
そして、続く1万年は、知識としての『教』(教え)はあるが、実践する者はない『末法』の時代、
とする思想がある。
正法の時代は教えがよく行われ、像法の時代は教えとそれを修行するものがあっても、
証果が得られなくなり、末法の時代は教えの実行、あるいは、それを本当に身体で覚る、
証する、体験する こともなくなり、社会に混乱がおこる。
仏法の及ばない末法の時代、仏教が滅ぶ絶望の時代、悟りを開くことができない時代、
人々は、もはや輪廻転生の輪から抜け出せなくなり、世の中が乱れて終末を迎えることになる。
日本では平安時代の中頃(西暦1052年)から末法の時代に入ると信じられ、
極楽浄土への往生を願う浄土信仰が広まった。

Q 地蔵とは
A 人々を仏の力で極楽へ導いてくれる阿弥陀如来と共に、末法の時代には、地蔵信仰が流行し始めます。
地蔵は大地と子宮の合成語で、大地が全てを受け止め生命を育む様に、
全ての人の苦しみを受け止め、苦悩する人々をその無限の大慈悲の心で包みこみ、
どんな世界にいても、そこに現れて救ってくれる菩薩なのです。
釈迦入滅の56億7000万年後に弥勒菩薩が地上に出現するまで、現世に仏が不在となってしまうため、
その間、六道を輪廻する衆生を救う菩薩なのです。
一般的には子供の守り神として信じられており、六地蔵は六道のそれぞれにあって、
時には身代わりとなって衆生を救済してくれる仏として、六道(魂が住む六つの世界)のどこへ逝っても、
常に無限の慈愛で見守ってください、という願いから生まれた信仰です。

Q 埋経とは
A この世の終わりを説く末法の時代には、埋経が流行した。
経典を写経し、巻物にして経筒という容器に納め、地中に埋納し経塚が築かれた。
暗黒の時代は56億7千万年も続き、そのあとに弥勒菩薩が釈迦の再来(未来仏)として
人間界に現われ(下生)、一切衆生を救ってくれることになっている。
弥勒菩薩の地上への降臨に備え、タイムカプセルのように埋経し、自分がかつて生きていた証拠を残し、
その慈悲にすがって六道輪廻の苦患から解放されたいと願ったのである。
時代が下がると、経筒は追善供養や極楽往生、現世利益を目的とするようになる。

Q 因果応報とは
A 人間の霊魂は死後も存続し、生前の行為、業(ごう)、カルマンによって、
天道、人間道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六趣のいずれかに生まれ変わるが、
悪趣に落ちてもそこで善業を積めば次は善趣に生まれ変わり、
逆に、善趣に行くことができても、そこで悪業を行えば次は悪趣に堕ちる。
善趣は天道、人間道であり、悪趣は阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道である。 
すなわち、善因善果、悪因悪果の因果応報であり、
自業自得で、未来永劫に回り回ってゆく六道輪廻である。
このような考えは現世の不平等を巧みに説明するもので、
不平等も来世では回復できる希望を与え、
かつ、善行を行なわねばならない根拠を示すものであった。
輪廻はカースト制を合理化するイデオロギーであり、
釈尊は我(永遠不滅の実体)を否定し、教団内部においての四姓平等を表明したのである。
* 四姓:バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシヤ・シュードラ

Q 冥福は放送禁止用語?
A 現世での享楽を得るために来世の魂を悪魔に売り渡す、昔なら一大決心だが、
今じゃどおってことない、地上には物質的豊かさが溢れている。
昔は、魂には重さがあると考え、子孫に追善供養してもらえない魂は、いつまでたっても軽くならないで、
生前の罪を背負ったまま、地獄の底に沈殿して【うかばれない】のであったが、
今じゃ何の事ない、重さ 0kg で、風になって飛んでいるのである。
慎重なNHKも『冥福』は放送禁止用語じゃないし、誰も、真っ暗闇の冥土で幸せになってください、
などとは思ってもいない。
単純に死後の幸福を願っているだけ、願ってすらいない、ただの言葉のあやに過ぎない。


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